(IPR_05)report:"Shibori" Workshop by Elisa Marchesini@radlab


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前日は徹夜で準備。エリーザが会場radlabの鍵を紛失し、大慌てで鴨川を探したりしたが、結局hanareradに置いてきていたというオチ。当日08:45に市役所前にて参加者と待ち合わせ。フリーマーケットの日だったり、集合場所もアバウトだったにも関わらず難なく集合完了。二名の遅刻連絡を受けて、radlabに移動。09:10には着席し、「ShiboriLab」が始まった。高校生5人、大学生8人、50代女性1人の合計14名が参加した。


自己紹介を終えて、まずは、エリーザが調べた「絞り染め」についての歴史や技法をさっくりとプレゼンテーション。曰く、絞り染めには百を超える技法が存在する。針や糸、紐、専用の固定具、丸太など様々な道具を用い、それぞれの技法特有の柄を染め抜いていく。一反の布を一人の職人が途方もない作業量と時間をかけて作り上げるのだ、云々。


それから彼女は、「今回の」絞り染めに関する四つの要素を説明する。Resist(抵抗)/Unique(独自性/特有性)/HumanMake(人為的/事故性)/Memory(記憶)。重要な点として、絞り染めは防染、つまり「染めないこと」による染色技法であることが挙げられる。先に挙げたうちの「Resist」––染められることへの抵抗、という性格をエリーザはここから読み取った。この特徴的な染色法に内在し、あるいはそこから派生するこれら要素の発見が、今回のワークショップを考える際に注目すべきことがらとなる。これはまた後に説明しよう。


プレゼンテーションが終わると、参加者を3-4人に分け、合計5つのチームが作られた。(参加者が座っていた椅子の裏に5チーム分のマークをつけておき、座った時点で既にチームが決定されているという女子高生5人固まりチーム阻止計画は見事に成功。)各チーム内でモデルを1人ずつ選出し、用意された大量の既製服の中からそれぞれのモデルにあう服をコーディネートする。全身のコーディネートが完成したら、モデルはその服に着替えて写真撮影。「見返り美人」よろしく、背中をメインに、少し振り返るような慣習的なポージングを取ってもらった。参加者は恥ずかしがりながらもポーズを取り、さらに前と横からのショットも撮った。染める前の服を撮り終えると、元の服に着替えてもらい今回の「絞り染め」のやり方が説明された。


まずチームごとにコーディネートした頭から靴までの一揃いの服を全部ひっくるめてまとめていく。チーム全員が恊働して、それらの服をひねり、結び、くちゃくちゃにしていった。このとき、形状を固定するためのヒモやロープ、防染のためのビニールなど通常絞り染めに必要とされる道具は使用せずに、選んだ服を互いに結びつけることで固定した。シャツの袖と袖を引っ張り合ったり、靴の中に服を突っ込んだり、その場で起こる人と人の衣服を通した動きを衣服にねじ込んでいく。


こうしてまとめあげた一揃いの服は、ひとつのかたまりに変化している。これをそのまま藍染め液に浸し、染めていく。ここで出来上がる柄は、チームのメンバーが行った動きの痕跡であり、そのとき衣服がどのような形状で接していたか、どの程度の力が加えられていたのかが克明に記録されたものであると言える。


今回のワークショップでエリーザがなさんとしたことは、伝統的な「衣服に仕立てられる前の生地を、個人的に長時間かけて行う」絞り染めを、「既に完成している既製服に、協同的で短時間に集中して行う」行為へと転換することだった。その転換とは、「絞り染め」があらかじめ持つ性質(例えば「Resist(抵抗)」)を利用しながらその手続き自体を見直すことで、既存の絞り染めによる意味あるいは効果とは別のそれらを布地へと織り込もうとすることだと言える。先に挙げた残りの三つ、Unique(独自性/特有性)/HumanMake(人為的/事故性)/Memory(記憶)がそれに当たるだろう。


既製服を恊働し立体的に絡めた上で染める、というアプローチは既製服に人為的な操作を加えることで「ここでしかありえない」衣服に仕立て直すことである。従来の絞り染めと大きく違う点は、柄の生成を目的としたのではなく、その制作過程で生まれる身体や空間との関わりを生地に織り込んでいくことに主眼を置いた点である。そうすることで、人々の体験や時間性というものが衣服に記録され、思い出や時間性といった立体性を帯びることとなる。チームに分ける、それぞれにモデルを選ぶ、コーディネート一式をまとめて染める、など一連の「約束」は単なる手続きとしてのみならず、衣服への記録という意図のもとでとらえられるべきだろう。


「textile」を「text」として読むことができるのではないか、とエリーザは言う。絞り染めの性質を利用し、身体、空間、時間といった要素を衣服に織り込むことで、ファッションという 「見えるもの」が重視される世界にひそむ「見えない/見えづらいもの」を浮かび上がらせることを試みたのである。こうした彼女の姿勢が、繰り返し参照する 4つの要素からうかがえるように思われる。



さて、引き続き具体的にワークショップの流れを追っていこう。染料に浸した服のかたまりを取り出して押し洗いし、流水で流し固くしぼって水気を切る。すべてのかたまりをビニール袋につめこんで、コインランドリーへと走った。祇園のコインランドリーで、一時間半ほどかけて乾燥させていく。途中、コインランドリーの管理人であり、そのビルのオーナーであるおじさまに話しかけられ「このビルの水道水がどれだけ美味いか」という話を30分ほど聞かされた。


その間、ワークショップ会場のradlabでは、モデルたちがショーのためのウォーキングの練習をしていた。参加者の一人であるJ本くんが率先してモデルたちを指導してくれた。「最後にファッションショーがしたい」との声がどこからともなく聞かれたようで、エリーザにとっても想定外のお披露目会が一日のワークショップの最後に設定されたのだ。おいしい水道水に別れを告げ、乾いた服を持ってradlabに帰る。モデルたちにはそれぞれの衣装に着替えてもらい染めた後の服を撮影する。


それから、急ごしらえでファッションショーの準備に取りかかる。モデルたちはヘアセットにメイクアップを受け、他の参加者たちはスピーカーにアンプ、発電機、そしてランウェイとなる布地などを用意し、会場の寺町商店街に移動。路上にランウェイが敷かれ、発電機のエンジンを点火し、すべての準備が整うと、路地からおもむろにモデルたちが現れた。音楽が鳴ってモデルたちが歩き始めると、商店街を通る人々はランウェイの周りに群がり、写真を撮ったり何のショーなのかを話し合ったりしていた。


5分ほどのショーを終えて、radlabに戻る。全員で円形に座り、今日の感想をそれぞれ述べていく。絞り染めよりも、ファッションショーのインパクトが強すぎて、そちらの感想ばかりになってしまった。


さて、当日の様子は以上でおわり。以下そのときの感想をすこし。


このようにワークショップそのものはとても楽しいものだった。のだけど、一点とても残念なことがある。染め上げた服を展示した後「欲しい人がいればこの服をあげるよ」と参加者に対してアナウンスしたにもかかわらず、一人の参加者も連絡をくれなかったことだ。僕はなにもこれを参加してくれた人たちの意識の低さとして批判したいわけじゃない。だって僕自身もこれらの服を自宅に「保管」しているにもかかわらず、普段着ていないのだから。人のことを言えた義理じゃない。


でもこれはどういうことなんだろう?染め上げた結果が「ダサ」かった?いや、そんなことはない(と思っている)。思うに、もしかしたら、この事実こそが「ファッションという 「見えるもの」が重視される世界」を、簡単に言ってしまえばファッションでは表層的なビジュアルが重用視されているということを、多く語っているのかもしれない。僕ら参加者はエリーザのメッセージをうまく受け止めきれていなかったのかもしれない。彼女がワークショップで批判していたものはどこか別の世界のことなんかじゃない。まさに僕たちの日常に染み付いているものなんだ。だとしたらこの「残念さ」はなんて皮肉なものなんだろう。


だから、自戒の念も込めつつ、このワークショップから派生した課題としてこういう問題を立ててみたい。コンセプトのレベルでファッションを批評するだけではなく、日常のレベル、生活のレベルでその問題をとらえなおすことはできるのか、実践的にそれを継続していけるのか、と。なにもこれはファッションに限った話じゃない。参加者が「参加」を終えて日常に戻ったとき、骨の髄までとはいわなくても、その頭の片隅にでも企画者の意図やネライがしみ込んでいるかどうか、そのための方法論を模索しなければならない。そして、自分が参加者になったとき、そのときに気づいたことがらを自分の脳や身体にどうやってしみ込ませることができるのか。なんてことを考えさせられたワークショップだった。


エリーザと出会わせてくれた hanareradのみなさん、会場を提供してくれたradlab、当日の翻訳やその他の相談に乗ってくれた須川さん、すんごい長い間このテキストの書き上げを応援してくれた榊原さん、そしてワークショップを通して様々な思考や体験をもたらしてくれたエリーザ、参加者のみなさんに精一杯のお礼を申し上げます。

(了)

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Takuya Matsumi
(松見 拓也:マツミタクヤ)

1986年 神戸生まれ。美容学校を卒業後、京都精華大学に入学。グラフィックデザインを専攻。都市や公共空間にある既存のシステムを再解釈するという活動と共に、写真/映像/インスタレーション/立体/声など様々なメディアを通して「認識」をキーワードとした作品を展開している。また、人とのコミュニケーション、人と人をつなぐ「場」に興味をもち、それを実践的に検証することで「場」から生まれる文化やエネルギーの要素を探る活動も行う。

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